Do what you love 〜 Love what you do

駆け出しです。右も左もわかりません。少しづづ慣れていこうと思ってます。どうぞ宜しくお願いします。

意外と知らない?Macのこんな使い方〜備忘録〜

 

意外と知らない?Macのこんな使い方〜備忘録〜

 

 

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テキストエディット

Launchpad > その他 > テキストエディット

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 環境設定はこちらを参考にさせていただきました。

Mac環境でのテキストエディットの設定

 

 クリップボードの表示の仕方

Finder > 編集 > クリップボードを表示

 

スクリーンショットクリップボードに保存)

  1. 画面全体:Command+Shift+Control+3
  2. マウス選択の範囲:Command+Shift+Control+4
  3. 選択したウィンドウ:Command+Shift+Control+4のあとスペースを押し対象ウィンドウをクリック

 

スクリーンショット(デスクトップに保存)

  1. 画面全体:Command+Shift+3
  2. マウス選択の範囲:Command+Shift+4
  3. 選択したウィンドウ:Command+Shift+4のあとスペースを押し対象ウィンドウをクリック

7年ぶりの久住山へ

 

久住山は遠く

雨男

前の記事にてソロ登山を始めたきっかけと、宝満山への2回の登山を書きました。

その記事の最後に

後日、登山用品店(モンベル)でトレッキングポールとスパッツを購入し、実家から父が使ってたコンパスと登山地図を入れるビニールの袋、ザックカバー、燃料、バーナー、クッカー、ヘッドライト、ゲイターを持ち帰り、シェルパーで雨具を、書店で登山地図を購入しました。

45saikaranokenkou.hatenablog.jp

 という文章がありますが、この文章は3つに分かれます。

 2回目の宝満山登山後、すぐに行ったのが ↓ です。

登山用品店(モンベル)でトレッキングポールとスパッツを購入し、

宝満山で他の登山客を見て必要だと思い購入しました。早くこの道具を使いたくて休みの日の天候ばかり気にしてました。登山は天候に左右されることが多く、私のような駆け出しは、晴れの日でないと山には入ることができません。

なのに休日は雨天ばかり。・・・私は雨男です。 

予定変更

8月25日、なんとか晴れのようで自宅を5:00に飛び出しました。

牧ノ戸峠には7:00に到着。

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九重に近くにつれ天候が変化。登山口は小雨模様でガスで見通しが効きません。7年ぶりの私としてはとても入ることはできず・・・

気持ちを切り替え実家へ行くことにしました。実家では父の登山道具を母から譲り受けました。

実家から父が使ってたコンパスと登山地図を入れるビニールの袋、ザックカバー、燃料、バーナー、クッカー、ヘッドライト、ゲイターを持ち帰り、

そして、母を車に乗せ熊本市内のシェルパーへ。母は、父とよく山へ出かけており、この日も「久しぶりだ。」と喜んでシャルパーまで案内してくれました。

シェルパーで雨具を、

少しづつ装備も整ってきて、やっと8月28日に天候に恵まれました。”晴天”です。

 

やっと久住山

5:30ころ自宅出発。途中、お茶や弁当を購入しトイレを済ませながら、7:30頃牧ノ戸峠に到着。

初めてきたのは15年前。その翌年にも来ましたが同行者の体調不良で、扇ヶ鼻分岐点で引き返しました。最後は7年前、父の他界した翌年に登頂しました。

そんな事を思い出しながら、はやる気持ちを抑えゆっくり準備を整える。

よし!出発!

ゆっくりゆっくり登り始める。

 

沓掛山でまたもや

牧ノ戸峠から沓掛山までの道のりでは、前方に年配の登山客4人が1集団で登っていたため、その集団に歩調を合わせながら、また会話を効きながら登って行きました。

トレッキングポールも初めて使いました。「あぁ、やっぱり楽に登れるな」と独り言を言いながら、ポールの長さを調節しつつ沓掛山にたどり着きました。

「ふっー」と一息ついた途端、また頭から血が引いて行く感じで吐き気をもよおす。しばらく石の上にしゃがみこみ、気分か軽快するのを待つ。徐々に回復し、10分ほどで登山再開。ゆっくりを歩を進める。

9:40分ころに久住別れに到着。少し休憩し景色を眺める。8月末ということもあり登山客は少なかったです。周囲をさほど気にすることもなく自分のペースでここまで来れました。

滑りやすい斜面をゆっくり登り、10:00に久住山登頂。

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「お父さん、来たよ。」って感じで、眺望を楽しみながら早めの昼食。

 

中岳初登頂

昼食を取りながら、前方に二つ突き出た山が気になる。なんて山だろう。今から行けるかな。そんな遠くはなさそうだし。食事をすませて、少しづつ近づいてみる。

大きな岩に黄色い時で「中岳」と書いてある。

そっか、あれが中岳なんだ。あれが九州で一番高い山か。

そう思いながら中岳に登っている人を遠目にしばらく眺める。上まで10分ぐらいで登ったかな?

よし行ってみよう。初めてなのでゆっくり周囲も確認しながら進む。やっぱり10分くらいで中岳初登頂。

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「はぁ・・・・?」「テ・ン・グ・ガ・シ・ロ」「なんですかこれは?」

辺りを見回すと、前方にもう一つ山が見える。近くにいた方に「あれは中岳ですか」と尋ねるとそうだと言われる。どのくらいで行けるか聞くと、15分もあれば行けると言われる。

ならば行くしかないでしょ。

なぜか口元が緩み笑顔になる。

なんて楽しいんだろう! 1人だからできること。

なんて自由なんだろう! 1人だからできること。

なんて気持ちがいいんだろう!

山はやっぱりいい!

 

「ねっ!お父さん!」

 

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着きました。中岳初登頂。

ザックを下ろしお茶を飲みながら、景色を楽しむ。

 

まだ見ぬ九重山

なんだろうあの平たいとこ?近くにいた方へ

「あそこはなんですか?」

「は?」

「いや、あそこです。」と指をさす。

「・・・坊ガツル」・・・ですよ。

そうなんだ、、あ・そ・こ・が、坊ガツルなんだ。

おそらく天狗ヶ城からも見えたんでしょう。中岳で初めて周囲を見渡すゆとりができ気づきました。

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後ろを振り返ると

 

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近くにいた方へ

「あれは、男池ですか?」

「御池です」

・・・もう人に聞くのはやめよう。家に帰ってから調べればいい。

だけど、私の知らない九重がまだたくさんある。楽しみが一気に増えました。

中岳を降り、避難小屋から御池に出て14:00には牧ノ戸峠に到着。

降りでは次はどの山に行こうか?と考えながら降りてきました。

右手に見える星生山を見ながら、次はここにしようと決めました。

 

ついに購入

数日後、ゆめタウン紀伊国屋へ行きました。もちろん

書店で登山地図を購入しました。

ネットで登山地図の見かたを調べ、山渓オンラインを登録し、登山計画の立て方などを知る。

次は、牧ノ戸峠→沓掛山→星生山→天狗ヶ城→中岳→稲星山→久住山→沓掛山→牧ノ戸峠 で決定。

休日と天気ばかりが気になる日々が続く。

 

記録を残したい

今日というこんなに楽しい1日は記憶にありません。

山渓オンラインに記録を残しました。これはとても楽しかったです。

もっと他に何かないか?

そうだ!ブログを書こう!

www.yamaonsen.com

*何度も何度も使ってゴメンなさい。

 

自分がソロ登山を始めたのはこのブログを読んでから。

俺もブログを書こう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ブログってどうやって書くの?

いろいろ調べた結果

よぉ〜し、WordPressで書こう。

となったわけですが・・すぐに撃沈しました。

ソロ山登を始める

 

 

山へ入るということ

私の登山歴

小学生の頃、父の後をついて近くの低山や阿蘇山に行ったことがあります。成人してからは、やっぱり父の後をついて久住山に数回と、妻と古処山に1回、息子と宝満山へ1回だけ。今住んでる家の近くに約300mの山があります。ここへ行った回数は3桁に達してます。この低山は1人で行きます。以上これが私の登山歴です。

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私にとって山へ入るということ

私にとって「山へ入るということは」は「一人で入ってはいけない」という認識がありました。その認識はどこから来たか?その認識は、私を山へ連れて行ってくれた父から教えられたものでした。

父が私に教えたものは

天候の変化、怪我、体調の変化、道迷いによる”遭難事故”

”遭難事故”=”命を失う”

というものでした。

私の周りに登山をする者も何人かいましたが、私は人付き合いが苦手でストレスを感じやすいです。食事に誘われると「いいよ。いつ行く。」と返事します。もちろんその時はちゃんと行くつもりで返事をします。しかし、約束した日が1日1日と近づいてくると、「ごめん。ちょっと体調が悪くて・・」と断ります。1人でいることが結構好きな性格です。なので家族以外と山へ行ったことがなく、家族が山について来てくれないと私も山にはいけませんでした。

 

自分にあった登山

前述の通り人付き合いが苦手です。なのに、私は自分が思ったことは誰彼構わず自分の意見をぶつけます。おまけに感情的にもなります。私にはこのような「厚顔無恥」な一面があるため友人も殆どいません。そのため「自己嫌悪」に陥ることも度々あります。自己嫌悪に落ちっいてたある日、「ちょっとした苦行でもやってみようかな」と思いました。思いついたのは宝満山。2年前に息子と行って、本当にきつか事を覚えてます。でも「1人で山に入るわけにはいかないしな」とパソコンで検索をしていると、ある方のブログが検索にかかりました。

www.yamaonsen.com

衝撃でした。同時に何かしら解放された気分にもなりました。

 

ソロ登山を始める

2年ぶりに宝満山

私が持ってる登山道具といえば、登山靴とザックと大きめのウエストポーチ。

登山靴は二足目。ザックとウエストポーチは私に山を教えてくれた父の遺品です。

宝満山へ登るため、パソコンで登山口と天気の確認をし、早めに就寝。

朝6:30ころ出発し、途中お茶を3本(500ml)とパンを購入し大きめのウエストポーチに入れる。8時頃に竈門神社へ到着。装備は、登山靴、ウエストポーチ、タオル、iPhone、あとは帽子と膝上までのトレーニングパンツ。竈門神社にお参りし登山口へ。

8月4日の夏真っ盛り。

振り返ってみると、あまりのきつさに写真一枚すら撮ってませんでした。

登山口から3合目の水飲み場(おそらく休堂跡)までは順調にたどり着きました。私がこの水飲み場までたどり着いた時、私よりお腹が出て色白な男性が1人いました。歳はあまり変わらないかと。この後、この男性と激しいデッドヒートを繰り広げる事になろうとは。というより私だけがムキになってただけですが。

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ここから先は石段が続きます。ライバルの男性は私より先に出発してました。しばらくするとその男性が石段に腰掛け休憩してました。呼吸は荒く、お腹は激しく波打ってました。そのライバルを横目に追い抜いて行きました。約1分後、私もとうとう石段に腰掛け「はぁはぁ」とお腹を激しく波打たせ休憩しました。そんな私の脇をライバルが通り過ぎて行きます。百段ガンギにたどり着いた頃は、もう彼の姿は認められませんでした。ずいぶん先を行かれているようです。百段ガンギをなんとか登りきり広場で休憩。休憩もつかの間、私の周りを蜂が数匹ブンブン飛び回り、追い出されるように登山道へ。しばらく進むと中宮跡。ここにたどり着いた途端、一気に気分が悪くな理ました。頭から血が引いて行く感じで吐き気をもよおす。この症状は、私が10代の頃から度々出現します。10分ほど座り込み回復するのを待つ。ここからは割となだらかなので、ゆっくりゆっくりと進んで行く。しだいに体調も戻ってくる。

登山口から約1時間50分。山頂に到着。ライバルの姿は見えず。さらに先へ行かれたのでしょう。完敗でした。

山頂で大きな岩に腰掛け昼食のパンを食べてると、70才前後くらいの男性に声をかけられ雑談に興じる。ふと後ろを振り返ると、私が登ってきた反対側から色白の眼鏡をかけた若い細身の青年が、その姿に似つかわしくない大きなザックを背負って登ってきた。その青年を交えて3人で雑談する。大きなザックには水が50Lほど入っているという事。近々日本アルプスへ行くという事。九州大学に在学中であるという事。がわかった。体力も学力も全く私はかないません。立派な青年でした。

下りは特に問題なくゆっくりとキョロキョロしながら登山口まで戻ってき、竈門神社へ手を合わせ車に乗り込みました。天気がよく暑くて汗をたくさんかきました。山頂での眺望もよくいい山登りでしたが、思った以上に苦戦したことに体力の低下を感じつつ帰路に就きました。

 

台風が鹿児島県から四国に向かって通過

2日後、台風が接近しあいにくの空模様。朝7:30、竈門神社にいました。先日の宝満山での苦戦が悔しく、天候不良にも関わらずリベンジにきました。他にも登山客が思った以上に多かったです。体力の配分を考えながらしばらく登っていると、山中にサイレンが響き渡りました。「ん!?どうしたんだろう⁇」と一瞬キョロキョロとしましたが、今日は8月6日。広島に原爆が投下された日でした。サイレンが聞こえる間は黙祷し登山再開。特に気分が悪くなることもなく、2日前より20分ほど早く山頂に着きました。強風と雨雲に煽られ立ってられませんでした。

そのあとは、天候も悪いのですぐに引き返し帰路につきました。

 

Instagram

 

二回の登山を通じて感じたこと

低山は枝道が多く登山地図の必要性を感じました。「こっちに行ってみようかなぁ

」と思い別ルートに入ってみましたが、心配性の私はすぐに引き返し正面ルートから外れることはありませんでした。

後日、登山用品店(モンベル)でトレッキングポールとスパッツを購入し、実家から父が使ってたコンパスと登山地図を入れるビニールの袋、ザックカバー、燃料、バーナー、クッカー、ヘッドライト、ゲイターを持ち帰り、シェルパーで雨具を、書店で登山地図を購入しました。

パソコンでは山渓オンラインに登録し、登山計画の立て方など勉強しました。他に、Twitterinstagramに登録し山の魅力をあらためて感じているところです。

1人で山に入る以上、家族や職場、そして他の登山客や関係者へ迷惑をかけないよう、客観的に状況を判断し登山を中止する勇気と責任を持って山へ入りたいと心掛けます。

 

次は、7年ぶりの久住山を目指します。

10代の頃から気になっていた症状(2)

 

 

再入院とカテーテルアブレーション

 

退院後、一ヶ月ほどで再入院

カテーテルアブレーションというOPをする日も決まりました。

しかし・・・またもや!?です。入院とともにどこかで安心しているのか、自分ではそんな自覚はまったくありませんが、とっても元気になってしまったようです。

症状なんて出やしない。なのにまた車椅子でホルター心電図つけて行動範囲も制限された病院生活。だけど食事が管理されているので、前回の入院と同様にダイエットになっています。

 

45saikaranokenkou.hatenablog.jp

 

というのもこの年の春からある理由で「禁煙」を行っており、この時ちょうど5ヶ月目を迎えてました。なんとか禁煙が継続できてはいるものの、その裏では体重が増える増える。禁煙後、1ヶ月で3キロほど増えました。なんせご飯が美味しくて美味しくて、おまけにアンコがこれまた最高に美味しくて美味しくて^^

ダイエットを始めてた頃でしたので、毎朝体重計に乗るのを楽しみにしてました。

こんな感じで楽しんでいるせいか、症状は出るはずもなく、担当医も困った様子で、OPの前日には外出するように指示が出ました。おそらくいろんなストレスを受けることで、症状の出現を期待されたのだと思います。

だけどこの外出の指示が嬉しくて嬉しくて急いで家に帰り、準備を整えてある場所へ速攻で向かいました。向かった場所は市民プール。だって、ホルター心電図も外してくれたんですもん。夏休み期間中は子供が多くて行けなかったので、その鬱憤を晴らすかのように泳ぎまくりました。2回めの入院は9月上旬でした。

そう、とっても健康体なんです。適度に運動し汗もかき喉も潤して、しっかりリフレッシュして病院へ戻りました。当然、症状が出るはずもありません。

 

*1

 

OP当日の朝

若い看護師がきてバイタルチェック。

その後、下の毛を剃るからとうんたらかんたら言って退室。若い看護師は当然女性。

そこ何分かで、シェーバーやらT字のカミソリやらを持って入室してきたので、

「自分でします(大汗)」

と道具を取り上げ、ベッドの上で頑張って剃りました。

誰にも見られたくない姿です><

数分後、その看護師が入室し

「準備できましたか?」

「はい」

「見せてください」

やだなぁ・・

「やり直しますね」

「えっ!(汗)」

いい歳して情けない><

 ・・・・・・・・・・・・

 OP室へ移動。入室するとたくさんのモニターが並んでました。気がつくと私の周囲はスタッフに取り囲まれ、これまたF1のピット作業のようにあっという間にいろんな器具を取り付けられました。

余談ながら、OP室へ入室し退出するまでナビゲーションしてくれる女性が一人いました。マスクされてて目しか見えませんでしたが「美人」でした^^

 

カテーテルアブレーション

不整脈の代表的な治療方法。カテーテル不整脈を起こす原因となっている異常な電気興奮の発生場所を焼き切る治療方法。私の場合、4時間ほどかかりました。体に負担がかからないよう、局部麻酔で行われました。多分(-_-;)

カテーテルは鼠蹊部(太モモの付け根)から血管を通して心臓に挿入され、カテーテルから高周波電流を流して焼灼します。少し顔をあげて太モモあたりを見たら3本?入っていたような気がします。

 

造影剤

経験のある方はご存知でしょうが、みるみる体が熱くなりゴジラのように口から火炎放射できるのではと思うくらいでした。

「少し熱くなりますよ〜」って

ちゃんと言ってくれなきゃ「なにこれ??ちょっと??えっ??なんか間違ってんじゃないの??」って思うくらい体が熱くなりました。その気になれば、口から火炎放射できたかもです(笑)

 

OP開始

症状が出ないので何かしら薬を使われたようでした。

*2

焼灼前に

「少し熱くなりますよ〜」って

「おおおお、めっちゃ熱いやんか」

「っっ・・・」「あ、あつ・・・」

焼灼はけっこうキツかったです。

こんなことが幾度も繰り返され、最後は血圧を薬であげられたような、心臓の鼓動がどんどん早くなる。胸が破けるような感じで、正直

「俺の体に何やってんだよ!!」

って思いました。薬って怖いです。つくづくそう思いました。

OPも無事に終了し、太モモの付け根から挿入されてたカテーテルも抜き取られてホッとするのもつかの間、止血が痛いのなんのって(涙)(涙)(涙) 止血は数時間続いたのと麻酔も徐々に効果がなくなっていったのでこれが一番辛かったです。例の若い看護師に取ってもらった時にやっと開放感を味わいました。

この若い女性は保健師だったのかな、良い方でした。

 

数日後、無事に退院

退院後は、心室頻拍の症状は出現せず、その後の検査でも異常なしでした。

今となっては、胸に「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚がなくなってしまい、なんだか物足りないような、静かすぎて淋しいような感じがします。今では、心室頻拍の症状は嫌ですが、「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚とはずいぶん長いこと付き合っていたので、いつも一緒にいた何かが去って行ったような淋しい感じがします。

 

まとめ 

 

私の不整脈とは(心室性期外収縮

心臓は筋肉だけでできている臓器で、全身に血液を送り出すポンプの役割を担っています。心臓の上の方にある洞結節というところから弱い電流が流れて、心臓が動く仕組みになっています。心室性期外収縮は洞結節とは別に心室の一部から電流が流れ、新たに心臓の収縮が起こり、私の場合は胸に「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚を生じてました。

小学生の頃、何度か運動負荷検査を受けた記憶があります。当時、階段昇降をなんども繰り返したあと、心電図をとってました。私は運動をすることにより消失していたため治療の必要はなしとされていました。今回治療するにあたって運動負荷検査(トレッドミル負荷検査)を2回受けました。

 

トレッドミル負荷検査

屋内でジョギングやウォーキングをするための健康器具を使います。私の場合、上半身は裸で心電図の電極と、左腕には血圧計を取り付けました。そして裸足になります。最初は、緩やかな角度と緩やかなスピードで歩き始めます。3分おきにベルコンベアの角度が大きくなりスピードも上がります。角度と速度は4段階あり最後はもう汗だくだくでした。正直かなりキツイです。運動終了後、回復状態の観察も行われました。

 

心室頻拍

前述の心室性期外収縮が3つ以上連続して現れた場合を心室頻拍というそうです。30秒以内に自然停止する場合を非持続性心室頻拍といい、30秒以上持続する場合を持続性心室頻拍と分類されてます。私は、どっちのタイプだったか忘れてしまいました。というより、「心室頻拍」にばかり関心が生き、その前に書かれていた文字に「非」がつていたかどうかは見てませんでした。

心室頻拍は心室細動に移行することがあるそうです。


私の場合、心室頻拍を引き出したのは「記憶を失うほどの飲酒」だったのではないかと勝手に思っています。症状が出ているときは、胸と背中(肩甲骨あたり)にジーンを電気が走るような痺れた感じはとても不快でした。呼吸も「うぅ・・」と唸るような感じで「息を吐く」ことができなったように記憶しています。車の運転中にこの症状がでると本当に困りました。

 

通常、不整脈は気にしなくて良いと言われてますが、私のように小学生の頃は良性でもその後違うものに変わる場合もあります。不整脈がある方は、年に1回の健康診断などでちゃんと確認をされた方が良いかと思います。専門医に相談すれば、入院せずにホルター心電図で24時間の検査が受けることもできます。

 

10代の頃から気になってた症状は?

退院後の約2年後、本格的に山に登り始めました。

登山口から第1休憩地点にたどり着き休憩すると、急に気分が悪くなります。10代の頃、自転車から降りたとたんに膝が崩れるように倒れこむような感覚です。

自転車には相変わらず乗っています。ママチャリからクロスバイクに変わりましたが。

スピードをあげると時々吐き気をもよおします。

肉は相変わらず苦手ですが、鳥と豚の脂身が少ないところを中心に食べる努力をしています。

禁煙は継続中。嘔吐、下痢はなぜかずいぶん減ってます。関係があるのかどうかはわかりませんが、禁煙を始めた頃から下痢が減ってます。不思議です。

*1:翌日にカテーテルアブレーションを受けたことを考えると、症状が出なかったというのは私の誤認かもしれません。

*2:これも私の誤認かもしれません

10代の頃から気になっていた症状(1)

 

10代は体育会系

小学生時代

私は小さい頃から身体を動かすことが好きで、小学一年から剣道を始めました。小学校のクラブ活動は、ソフトボールクラブやバスケットボールクラブに所属していました。私が小学生の頃は、市内と郡や町の小学校が集まり学校対抗のソフトボール大会が行われていました。当時は40校くらいあったように記憶しています。春の大会は6年生のみで構成された代表チームで、夏の大会は4年生から6年生で構成された代表チームでトーナメント方式でソフトボール大会が行われてました。女子はフットベスボールだったように記憶しています。ちなみに、私は6年生の時に春の大会と夏の大会はキャプテンをつとめさせていただき、おまけに前年度優勝校だったので選手宣誓をするはめに・・(選手宣誓は元気のいい同級生が名乗りを上げたので、私は開会式では他の友人と騒ぎながら元気な友人の選手宣誓を眺めてました。)

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今思うと、私の人生で一番輝いていた時代だったように感じます。

そんな元気な私に「不整脈」があることを母から聞いてましたが、生活になんの支障もなく自覚症状もなく、楽しい小学生時代を過ごしていました。

 

中学生・高校生時代

中学生になると引っ越し他県へ移ったためか、スポーツは剣道の道場に週に2回通うのみ。クラブ活動はなぜか百人一首クラブやイラストクラブに所属。最後の1年間は卓球クラブに所属。高校時代は剣道部に入部するも1ヶ月でクビ。それでもなんとか2年生で二段を習得。

この頃から、貧血、立ちくらみ、腹痛などの自覚症状が出てくるも、日常生活に特に支障はなく生活する。

 

大学時代

剣道部に所属するも、貧血や立ちくらみが多くなり練習中に自覚症状も見られ、一人休憩することも度々。

満員電車の中で、めまい、吐き気、息苦しさ、腹痛に襲われることがあり、途中下車する事もしばしばある。だいたい30分ほどで嘘のように元気になる。

また、自転車から降りた途端に、視野が紫色になり、めまい、吐き気に襲われ、膝から崩れるように道端で倒れることもこの時期によく見られた。

 

卒業後

社会人になってからは、職場の朝礼時に何度か貧血を起こしたものの、気になる症状もほとんど見られず快適に生活する。

20代後半で結婚する。その頃、自宅で夕食に自分で牛肉を焼いて食べたところ一時間後くらいに吐き気をもよおし噴射するように嘔吐する。もともと肉類は苦手で、脂身は小学生の頃から大の苦手。豚の角煮は見たくもありません。その後、肉類を食べると腹痛、嘔吐、下痢は日常茶飯事になってくる。同時期に今までなんともなかった牡蠣でアレルギー反応が出る。その後、3回牡蠣にチャレンジし3回のたうち回り、医者に「いい加減にしなさい」を注意を受ける。

牡蠣は本当に苦しいです。この記事を読まれる方がもしいらっしゃたなら、1度アレルギー反応が出たらチャレンジしないでください。絶対アレルギー反応が出ます。

 

いつの頃からは、胸に「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚があり、稀に胸と背中が痺れるような痛みを感じることがある。

 

30代になると肉類はさらに苦手になり、外食でハンバーグを食べ病院で点滴を打つこともあり、さらに肉から遠ざかる。40代になるとラーメンのチャーシューで嘔吐。脂ののった秋刀魚や鯖も徐々に苦手になり、ハマチなどの匂いが嫌になってくる。

この頃、自転車から降りた途端、吐き気やめまいに襲われその場に横たわることが再び始まる。

 

職場の研修で一泊で出張する。酒好きの私は夕食で食うものも食わず記憶を失うくらいアルコールを摂取する。翌日は研修に参加するも、胸と背中に痺れるような痛みが持続し、研修会場から退出する。夕方には正常に戻り、嘘のように元気になる。

 

その2日後、普通に朝を迎え出勤前にいつものように椅子に腰掛けパソコンに向かう。

突然、息苦しさを感じ胸と背中に痺れを感じる。今までで一番強く息苦しさを感じ、椅子に座っておられず横になり息苦しさと痛みがやわらぐのを待つ。

 

自分自身、「今日はいつもと違う」と感じ、妻に病院に行ってくるといい家をでる。車で10分も行けば急性期の病院があり、時間もまだ早かったため夜間外来の受付へいく。

看護師の指示に従い、問診票に今朝の症状をいくつか記載したところで、また息苦しさと胸と背中に痛みを感じテーブルに伏せてしまう。

息苦しさが収まったところで看護師の指示に従い、車椅子に移り、別室に移動され、処置台のようなところに横になる。この辺は記憶が曖昧でいつの間にか心電図を取られていた。なんと看護師の対応の早い事か、F1のピット作業のように早かったことを覚えている。

看護師の「5連発?」「何連発?」の声が聞こえており、エコーなどの検査を受けた結果、なんとこの症状の原因は不整脈でした。

 

不整脈心室頻拍

不整脈は大きく分けて3種類あるそうです。

  1. 「徐脈」=脈が遅くなるタイプ (洞不全症候群、房室ブロック)
  2. 「頻脈」=脈が早くなるタイプ (心房細動、発作性上室性頻拍、心室頻拍、心室細動WPW症候群
  3. 期外収縮」=脈が飛ぶタイプ (心房性期外収縮心室性期外収縮

私の場合は3の期外収縮で「心室性期外収縮」というものでした。

言われてみれば、「あぁ、なんか子供の頃に母がそんなこと言ってたな」とまぁ、全く気にしていなかった「不整脈」にこんなに虐められるとは思いませんでした。

いつの頃からか気になってた、胸に「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚こそが、心室性期外収縮の症状だったようです。こうゆう症状と長く付き合っていると「お友達」のようなもので、治療した今はそのような症状がなく、変な話なんとなく寂しくもあります。

結局そのまま入院になったわけですが、入院時の病名は「心室頻拍」というものでした。

家電製品を修理するために販売店に持っていくと正常に動き出したり、家電メーカーのサービスが自宅に修理にくると正常に動き出すように、私の不整脈もどこへ行ったやら、入院後は全くの健康体に戻りまして、なんの症状も出てきませぬ><

なのに移動は車椅子、トイレはベッド上で尿器に、ホルター心電図をつけられ行動範囲も制限。月末の仕事の忙しさを理由に、数日でとっとと退院してしまいました。

1つ気になったのは「薬を出そうと思ったけど、夜間の心拍数が60を下回るのでやめました」と担当医に言われた事くらい。

 

退院後

外はやっぱり気持ちがよく、病院に置きっ放しにしてた車に久日ぶりに乗り、職場へレッツゴー。

さぞかし仕事が溜まってるだろうな〜と思いつつ職場に着き、

「数日間ご迷惑かけてすみませんでした。今退院してきました。」

「おお、もう大丈夫か?」

「全然大丈夫です」

「お前が心臓で入院するなんてな〜。心臓に毛が生えてるとばかり思っていたけどな。」

そうなんです。私は「厚顔無恥」で、誰彼構わず自分の意見をぶつけるタイプで・・・「面目ない><」

溜まってると思ってた仕事は、同僚が全てかたずけてくれおり、特にすることもなかったので大人しく帰宅しました。

 

翌日は、予定されていた研修に参加。日常に戻ったと思ってましたが、退院数日後に国勢調査の説明を聞くために役所に出かけたところ、またもや例の症状が出て横になる始末。その後は、車の運転中やデスクワーク中に度々症状が出現し、早退することも数回ありました。

退院した1ヶ月後、症状の出現が頻繁になる。勤務中、症状の出現が続き業務に支障をきたしたため早退し再度病院へ行き入院となる。

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45saikaranokenkou.hatenablog.jp

 

【WordPressでブログ開設】を目指して

 

WordPressでブログ開設】を目指すが道のりは思った以上に遠い

 

独自ドメインだ!

サーバーレンタルだ!

WordPressだ!

ブログ開設だ!

 

ブログ開設のためには、知識が必要! 技術が必要! 経験も必要! かな?

よし!書店へ行こう!この辺りで大きい書店といえばゆめタウンの中にある紀伊国屋

 

おお〜、これだ、これこれ

んん・・3,180円+税  けっこう高いな。しかも分厚いし。

・・・全部読めるかな。

 

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 くぅ〜買っちまった。

よぉぉ〜し、早速帰って、一気に読破して、

独自ドメインだ! サーバーレンタルだ! WordPressだ! ブログ開設だ!

だあだあ〜!

 

なになに

本書は普段HTML+CSSでサイト作成をしているWebデザイナーの方やマークアップエンジニアなどのノンプログラマーの方向けに、「WordPressとは何なのか?」というところから始まり、・・・

 

HTML?? CSS??

はて何のことやら??

 

まあ、読んでいくうちに何とか・・・

 

MySQL?? PHP??

いかん、さっぱり解らん

。。さっぱりわからん。。

 

んん・・・冷静にならなきゃ。

ちょっと無理だな。こりゃダメだ。これじゃ記事を書くのが苦痛になる。というより書けない。

 

WordPressってけっこう敷居が高いんだな〜。

買う前に「はじめに」くらい読んどけばよかった。値段しか見てなかったもん。

いい歳して情けない。

 

・・・

 

不本意だが、とりあえず本棚へしまっとこう。

いつか役に立つ日がきっと来るさ。けっこう高かったし。

 

でも、どうしよ

ブログはやっぱり始めたいし。

 

色々調べた結果、「はてなブログ」さんにお世話になる事にしました。

 

 

WordPressでブログ開設】の思い

 

そもそも2ヶ月前までは全くと言っていいほどブログに興味がありませんでした。

ところが3ヶ月前にあるお方のブログが目にとまり・・・

 

数日後、コンビニで500mlのお茶三本と弁当一つ買って近くの山に登りました。

 

もともと山には数年に1回のペースで登ってはいたのですが、私の中に「決して山には一人で行ってはいけない」という認識が強くありました。団体行動や人付き合いが苦手な私は積極的に登っていませんでした。

 

ところがそのお方は女性でありながらソロ登山。しかも、穂高やらテント泊やら・・

「えぇ〜??」

「ひとりで山に行っっていいの??」

「本当にいいの?」

「行っていいんだ?」

「何だ?行っていいんだね!!」

 

そういうことで、数日後近くの山へいく事になりました。

前述の通り、コンビニで500mlのお茶三本と弁当一つ買って行ってまいりました。

 

 

あるお方のブログです。

 

www.yamaonsen.com

 

 

私の住む町から車で一時間ほど走ると宝満山という山があります。標高は約830m。

福岡県ではけっこう有名な山です。登山客もかなり多いです。麓には竈門神社下宮があります。縁結びの神様で、女子の心をくすぐるのか、連日若い女性が多く賑わっています。

8月上旬の暑い最中に、ワクワクドキドキしながらの登山。何とか頂上にたどり着くも、途中何度座り込んだことか。辛かった><

2日後、台風が接近しているにも関わらず、再度宝満山へ。前回のように座り込む事なく登れたが、頂上ではあまりの風の強さに立つのも困難でした。

 

45saikaranokenkou.hatenablog.jp

 そして

 

8月末、天候に恵まれたので約7年ぶりの九重山へ。牧ノ戸峠から久住山→天狗ヶ城→中岳→御池を見ながら牧ノ戸峠へ。

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亡き父のザックを背負って初めてひとりで行った九重。

 

45saikaranokenkou.hatenablog.jp

 

 

何と気持ちのいいことか!!

なんて楽しいんだろう!!

なんて自由なんだろう!!

 

よぉ〜し、記録に残そう!

どれどれ〜

おお!!山渓オンラインなるものは、登山地図付きで記録が残せるのか!

いいじゃないか〜。記録しとこ。でもなんか物足りないな

いや、どうせなら、どうせなら、よーし、俺も、俺も、「ブログを書こう!!」どうせ記録を残すなら

「ブログを書こう!!」

 

これが、ブログ開設を志した始まりでした。

 

そして、どうせブログを書くなら

WordPressで書こう!!」

という事になりまして・・・

そしてあっけなく撃沈><

 

他にも自分自身の病気や健康の事やらを思いおもいに書いていく予定でしたが、少し予定が変更になりそうです。

 

 

WordPress】からはてなブログ】へ そして【HTML】へ

 

いつかは【WordPress】でブログを開設したい。

 

そのために、さっぱり解らない

HTML  CSS  MySQL  PHP

を覚えていこう。

 

なので先ずは【HTML】から。

 

備忘録の意味でも書き残していきたいとおもいます。

 

私のPCはmacOS High Sierra 

色々調べてみると、【テキストエディタ】というものが使えることがわかりました。

 

この記事を参考にさせていただきました。

Mac環境でのテキストエディットの設定

 

テキストエディタの環境設定から

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「フォーマット」の「リッチテキスト」の印を「標準テキスト」へ変更。

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「ファイルを保存するとき」の「標準テキストファイルに拡張子".tet"を追加」のチェックを外す。

「標準テキストファイルのエンコーディング」の項目の下の 「ファイルを開くとき」と「ファイルを保存するとき」の それぞれについて文字コードを「日本語(EUC)」に変更。

 

 スクリーンショットの仕方*

  1. 画面全体:Command+Shift+Control+3
  2. マウス選択の範囲:Command+Shift+Control+4
  3. 選択したウィンドウ:Command+Shift+Control+4+ スペース ==> 対象ウィンドウをクリック

 

この記事を参考にさせていただきました。

www.edit-u.com

 

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 不慣れながら、ポチポチと入力してみる。

拡張子を".html"にして保存。

保存したファイルをダブルクリックして

 

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 とりあえず、成功かな。

 

 んん〜【WordPress】いつになることやら。

諦めずに頑張ることを決意しました。

 

 

【最後に】

初めてブログを書きました。私にとっては記念すべき1ページです。

その中で、勝手ながらリンクを貼らせていただきました。

何かしら不手際がございましたら申し訳ございません。