Do what you love 〜 Love what you do

駆け出しです。右も左もわかりません。少しづづ慣れていこうと思ってます。どうぞ宜しくお願いします。

ソロ山登を始める

 

 

山へ入るということ

私の登山歴

小学生の頃、父の後をついて近くの低山や阿蘇山に行ったことがあります。成人してからは、やっぱり父の後をついて久住山に数回と、妻と古処山に1回、息子と宝満山へ1回だけ。今住んでる家の近くに約300mの山があります。ここへ行った回数は3桁に達してます。この低山は1人で行きます。以上これが私の登山歴です。

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私にとって山へ入るということ

私にとって「山へ入るということは」は「一人で入ってはいけない」という認識がありました。その認識はどこから来たか?その認識は、私を山へ連れて行ってくれた父から教えられたものでした。

父が私に教えたものは

天候の変化、怪我、体調の変化、道迷いによる”遭難事故”

”遭難事故”=”命を失う”

というものでした。

私の周りに登山をする者も何人かいましたが、私は人付き合いが苦手でストレスを感じやすいです。食事に誘われると「いいよ。いつ行く。」と返事します。もちろんその時はちゃんと行くつもりで返事をします。しかし、約束した日が1日1日と近づいてくると、「ごめん。ちょっと体調が悪くて・・」と断ります。1人でいることが結構好きな性格です。なので家族以外と山へ行ったことがなく、家族が山について来てくれないと私も山にはいけませんでした。

 

自分にあった登山

前述の通り人付き合いが苦手です。なのに、私は自分が思ったことは誰彼構わず自分の意見をぶつけます。おまけに感情的にもなります。私にはこのような「厚顔無恥」な一面があるため友人も殆どいません。そのため「自己嫌悪」に陥ることも度々あります。自己嫌悪に落ちっいてたある日、「ちょっとした苦行でもやってみようかな」と思いました。思いついたのは宝満山。2年前に息子と行って、本当にきつか事を覚えてます。でも「1人で山に入るわけにはいかないしな」とパソコンで検索をしていると、ある方のブログが検索にかかりました。

www.yamaonsen.com

衝撃でした。同時に何かしら解放された気分にもなりました。

 

ソロ登山を始める

2年ぶりに宝満山

私が持ってる登山道具といえば、登山靴とザックと大きめのウエストポーチ。

登山靴は二足目。ザックとウエストポーチは私に山を教えてくれた父の遺品です。

宝満山へ登るため、パソコンで登山口と天気の確認をし、早めに就寝。

朝6:30ころ出発し、途中お茶を3本(500ml)とパンを購入し大きめのウエストポーチに入れる。8時頃に竈門神社へ到着。装備は、登山靴、ウエストポーチ、タオル、iPhone、あとは帽子と膝上までのトレーニングパンツ。竈門神社にお参りし登山口へ。

8月4日の夏真っ盛り。

振り返ってみると、あまりのきつさに写真一枚すら撮ってませんでした。

登山口から3合目の水飲み場(おそらく休堂跡)までは順調にたどり着きました。私がこの水飲み場までたどり着いた時、私よりお腹が出て色白な男性が1人いました。歳はあまり変わらないかと。この後、この男性と激しいデッドヒートを繰り広げる事になろうとは。というより私だけがムキになってただけですが。

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ここから先は石段が続きます。ライバルの男性は私より先に出発してました。しばらくするとその男性が石段に腰掛け休憩してました。呼吸は荒く、お腹は激しく波打ってました。そのライバルを横目に追い抜いて行きました。約1分後、私もとうとう石段に腰掛け「はぁはぁ」とお腹を激しく波打たせ休憩しました。そんな私の脇をライバルが通り過ぎて行きます。百段ガンギにたどり着いた頃は、もう彼の姿は認められませんでした。ずいぶん先を行かれているようです。百段ガンギをなんとか登りきり広場で休憩。休憩もつかの間、私の周りを蜂が数匹ブンブン飛び回り、追い出されるように登山道へ。しばらく進むと中宮跡。ここにたどり着いた途端、一気に気分が悪くな理ました。頭から血が引いて行く感じで吐き気をもよおす。この症状は、私が10代の頃から度々出現します。10分ほど座り込み回復するのを待つ。ここからは割となだらかなので、ゆっくりゆっくりと進んで行く。しだいに体調も戻ってくる。

登山口から約1時間50分。山頂に到着。ライバルの姿は見えず。さらに先へ行かれたのでしょう。完敗でした。

山頂で大きな岩に腰掛け昼食のパンを食べてると、70才前後くらいの男性に声をかけられ雑談に興じる。ふと後ろを振り返ると、私が登ってきた反対側から色白の眼鏡をかけた若い細身の青年が、その姿に似つかわしくない大きなザックを背負って登ってきた。その青年を交えて3人で雑談する。大きなザックには水が50Lほど入っているという事。近々日本アルプスへ行くという事。九州大学に在学中であるという事。がわかった。体力も学力も全く私はかないません。立派な青年でした。

下りは特に問題なくゆっくりとキョロキョロしながら登山口まで戻ってき、竈門神社へ手を合わせ車に乗り込みました。天気がよく暑くて汗をたくさんかきました。山頂での眺望もよくいい山登りでしたが、思った以上に苦戦したことに体力の低下を感じつつ帰路に就きました。

 

台風が鹿児島県から四国に向かって通過

2日後、台風が接近しあいにくの空模様。朝7:30、竈門神社にいました。先日の宝満山での苦戦が悔しく、天候不良にも関わらずリベンジにきました。他にも登山客が思った以上に多かったです。体力の配分を考えながらしばらく登っていると、山中にサイレンが響き渡りました。「ん!?どうしたんだろう⁇」と一瞬キョロキョロとしましたが、今日は8月6日。広島に原爆が投下された日でした。サイレンが聞こえる間は黙祷し登山再開。特に気分が悪くなることもなく、2日前より20分ほど早く山頂に着きました。強風と雨雲に煽られ立ってられませんでした。

そのあとは、天候も悪いのですぐに引き返し帰路につきました。

 

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二回の登山を通じて感じたこと

低山は枝道が多く登山地図の必要性を感じました。「こっちに行ってみようかなぁ

」と思い別ルートに入ってみましたが、心配性の私はすぐに引き返し正面ルートから外れることはありませんでした。

後日、登山用品店(モンベル)でトレッキングポールとスパッツを購入し、実家から父が使ってたコンパスと登山地図を入れるビニールの袋、ザックカバー、燃料、バーナー、クッカー、ヘッドライト、ゲイターを持ち帰り、シェルパーで雨具を、書店で登山地図を購入しました。

パソコンでは山渓オンラインに登録し、登山計画の立て方など勉強しました。他に、Twitterinstagramに登録し山の魅力をあらためて感じているところです。

1人で山に入る以上、家族や職場、そして他の登山客や関係者へ迷惑をかけないよう、客観的に状況を判断し登山を中止する勇気と責任を持って山へ入りたいと心掛けます。

 

次は、7年ぶりの久住山を目指します。