Do what you love 〜 Love what you do

駆け出しです。右も左もわかりません。少しづづ慣れていこうと思ってます。どうぞ宜しくお願いします。

10代の頃から気になっていた症状(1)

 

10代は体育会系

小学生時代

私は小さい頃から身体を動かすことが好きで、小学一年から剣道を始めました。小学校のクラブ活動は、ソフトボールクラブやバスケットボールクラブに所属していました。私が小学生の頃は、市内と郡や町の小学校が集まり学校対抗のソフトボール大会が行われていました。当時は40校くらいあったように記憶しています。春の大会は6年生のみで構成された代表チームで、夏の大会は4年生から6年生で構成された代表チームでトーナメント方式でソフトボール大会が行われてました。女子はフットベスボールだったように記憶しています。ちなみに、私は6年生の時に春の大会と夏の大会はキャプテンをつとめさせていただき、おまけに前年度優勝校だったので選手宣誓をするはめに・・(選手宣誓は元気のいい同級生が名乗りを上げたので、私は開会式では他の友人と騒ぎながら元気な友人の選手宣誓を眺めてました。)

f:id:Sol-44-Luna:20171126124812j:plain

今思うと、私の人生で一番輝いていた時代だったように感じます。

そんな元気な私に「不整脈」があることを母から聞いてましたが、生活になんの支障もなく自覚症状もなく、楽しい小学生時代を過ごしていました。

 

中学生・高校生時代

中学生になると引っ越し他県へ移ったためか、スポーツは剣道の道場に週に2回通うのみ。クラブ活動はなぜか百人一首クラブやイラストクラブに所属。最後の1年間は卓球クラブに所属。高校時代は剣道部に入部するも1ヶ月でクビ。それでもなんとか2年生で二段を習得。

この頃から、貧血、立ちくらみ、腹痛などの自覚症状が出てくるも、日常生活に特に支障はなく生活する。

 

大学時代

剣道部に所属するも、貧血や立ちくらみが多くなり練習中に自覚症状も見られ、一人休憩することも度々。

満員電車の中で、めまい、吐き気、息苦しさ、腹痛に襲われることがあり、途中下車する事もしばしばある。だいたい30分ほどで嘘のように元気になる。

また、自転車から降りた途端に、視野が紫色になり、めまい、吐き気に襲われ、膝から崩れるように道端で倒れることもこの時期によく見られた。

 

卒業後

社会人になってからは、職場の朝礼時に何度か貧血を起こしたものの、気になる症状もほとんど見られず快適に生活する。

20代後半で結婚する。その頃、自宅で夕食に自分で牛肉を焼いて食べたところ一時間後くらいに吐き気をもよおし噴射するように嘔吐する。もともと肉類は苦手で、脂身は小学生の頃から大の苦手。豚の角煮は見たくもありません。その後、肉類を食べると腹痛、嘔吐、下痢は日常茶飯事になってくる。同時期に今までなんともなかった牡蠣でアレルギー反応が出る。その後、3回牡蠣にチャレンジし3回のたうち回り、医者に「いい加減にしなさい」を注意を受ける。

牡蠣は本当に苦しいです。この記事を読まれる方がもしいらっしゃたなら、1度アレルギー反応が出たらチャレンジしないでください。絶対アレルギー反応が出ます。

 

いつの頃からは、胸に「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚があり、稀に胸と背中が痺れるような痛みを感じることがある。

 

30代になると肉類はさらに苦手になり、外食でハンバーグを食べ病院で点滴を打つこともあり、さらに肉から遠ざかる。40代になるとラーメンのチャーシューで嘔吐。脂ののった秋刀魚や鯖も徐々に苦手になり、ハマチなどの匂いが嫌になってくる。

この頃、自転車から降りた途端、吐き気やめまいに襲われその場に横たわることが再び始まる。

 

職場の研修で一泊で出張する。酒好きの私は夕食で食うものも食わず記憶を失うくらいアルコールを摂取する。翌日は研修に参加するも、胸と背中に痺れるような痛みが持続し、研修会場から退出する。夕方には正常に戻り、嘘のように元気になる。

 

その2日後、普通に朝を迎え出勤前にいつものように椅子に腰掛けパソコンに向かう。

突然、息苦しさを感じ胸と背中に痺れを感じる。今までで一番強く息苦しさを感じ、椅子に座っておられず横になり息苦しさと痛みがやわらぐのを待つ。

 

自分自身、「今日はいつもと違う」と感じ、妻に病院に行ってくるといい家をでる。車で10分も行けば急性期の病院があり、時間もまだ早かったため夜間外来の受付へいく。

看護師の指示に従い、問診票に今朝の症状をいくつか記載したところで、また息苦しさと胸と背中に痛みを感じテーブルに伏せてしまう。

息苦しさが収まったところで看護師の指示に従い、車椅子に移り、別室に移動され、処置台のようなところに横になる。この辺は記憶が曖昧でいつの間にか心電図を取られていた。なんと看護師の対応の早い事か、F1のピット作業のように早かったことを覚えている。

看護師の「5連発?」「何連発?」の声が聞こえており、エコーなどの検査を受けた結果、なんとこの症状の原因は不整脈でした。

 

不整脈心室頻拍

不整脈は大きく分けて3種類あるそうです。

  1. 「徐脈」=脈が遅くなるタイプ (洞不全症候群、房室ブロック)
  2. 「頻脈」=脈が早くなるタイプ (心房細動、発作性上室性頻拍、心室頻拍、心室細動WPW症候群
  3. 期外収縮」=脈が飛ぶタイプ (心房性期外収縮心室性期外収縮

私の場合は3の期外収縮で「心室性期外収縮」というものでした。

言われてみれば、「あぁ、なんか子供の頃に母がそんなこと言ってたな」とまぁ、全く気にしていなかった「不整脈」にこんなに虐められるとは思いませんでした。

いつの頃からか気になってた、胸に「ハッ」とするような、「ドキッ」とするような、「フワッ」するような感覚こそが、心室性期外収縮の症状だったようです。こうゆう症状と長く付き合っていると「お友達」のようなもので、治療した今はそのような症状がなく、変な話なんとなく寂しくもあります。

結局そのまま入院になったわけですが、入院時の病名は「心室頻拍」というものでした。

家電製品を修理するために販売店に持っていくと正常に動き出したり、家電メーカーのサービスが自宅に修理にくると正常に動き出すように、私の不整脈もどこへ行ったやら、入院後は全くの健康体に戻りまして、なんの症状も出てきませぬ><

なのに移動は車椅子、トイレはベッド上で尿器に、ホルター心電図をつけられ行動範囲も制限。月末の仕事の忙しさを理由に、数日でとっとと退院してしまいました。

1つ気になったのは「薬を出そうと思ったけど、夜間の心拍数が60を下回るのでやめました」と担当医に言われた事くらい。

 

退院後

外はやっぱり気持ちがよく、病院に置きっ放しにしてた車に久日ぶりに乗り、職場へレッツゴー。

さぞかし仕事が溜まってるだろうな〜と思いつつ職場に着き、

「数日間ご迷惑かけてすみませんでした。今退院してきました。」

「おお、もう大丈夫か?」

「全然大丈夫です」

「お前が心臓で入院するなんてな〜。心臓に毛が生えてるとばかり思っていたけどな。」

そうなんです。私は「厚顔無恥」で、誰彼構わず自分の意見をぶつけるタイプで・・・「面目ない><」

溜まってると思ってた仕事は、同僚が全てかたずけてくれおり、特にすることもなかったので大人しく帰宅しました。

 

翌日は、予定されていた研修に参加。日常に戻ったと思ってましたが、退院数日後に国勢調査の説明を聞くために役所に出かけたところ、またもや例の症状が出て横になる始末。その後は、車の運転中やデスクワーク中に度々症状が出現し、早退することも数回ありました。

退院した1ヶ月後、症状の出現が頻繁になる。勤務中、症状の出現が続き業務に支障をきたしたため早退し再度病院へ行き入院となる。

f:id:Sol-44-Luna:20171126153724j:plain

 

 

45saikaranokenkou.hatenablog.jp